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アイヌは今はいるの?

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いません。

近代化前の北海道諸部族の
それぞれの独自性やアイデンティティ―を軽視し
「アイヌ」という呼び名を確固たるものとして想定したとしても

その人たちの子孫を寄せ集めて衣装でも着せれば

「アイヌ」と言ってよいのでしょうか。

知里真志保は

『彼らはもはやアイヌではなく、
せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである』

…と言っています。

「アイヌ系日本人」とは「アイヌの血も引いた日本人」
という程度の意味であり
真志保の時代において既に、どうがんばっても
「アイヌがいる」とは言えなかったのです。

もちろん、個人レベルで見れば、踊りや歌など、
部分的に伝えられている素晴らしい「アイヌ文化」はあります。

しかし、そのような断片的に文化を受け継ぐ個人であっても
その個人全体を眺めてみれば
実はアイヌ文化ではなく、日本文化を直接的に、圧倒的に
受け継いで、そこに立脚した存在でしかありません。

大工と日曜大工が全く違うように
現代の自称アイヌは、日曜アイヌと言ってよい存在です。

血筋においてもすっかり薄まってしまっていますので
現代の自称アイヌのご先祖さまはアイヌではなく
「たんなる普通の日本人」が彼らの先祖なのです。

その中に、少々アイヌの祖先もいる
という形になっているのが嘘偽りのない現実となっています。

このように、血筋上も文化上も日本人である人々が
日曜アイヌで歌や踊りを踊っただけで
「日本人とは別のアイヌ民族」、「日本に虐げられた先住民族」
を自称できるものなのでしょうか。


日本という国は、さまざまな民族的ないし部族的集団を
絶滅させてしまうのではなく、
平和的に同化し、和して拡大してきた国ですから
個人レベルで見れば、
(その呼び名は失われたとしても)アイヌに限らず色々な芸能が
日本中に残っています。

しかし、それらは今日「民俗」と呼ばれる程度の差異に過ぎず
部分的に踊りや歌を受け継いだだけで
その一全体的な個人を「アイヌ」だとか「隼人」だとか「熊襲」
などと呼んで、日本人と違う存在だと見做せるわけではありません。


アイヌは自ら積極的に日本に同化し、
その子孫は「せいぜい」アイヌ系日本人として
何の変哲もない「現代日本人」の生活者になっています。
それが、「アイヌ」の歴史なのです。

そして、繰り返しになりますが
そもそも「アイヌ」は後付けの呼び名であり
それぞれ独自のちゃんとした集団名があったのですから
「アイヌ」を自称している時点で
「アイヌに無知な現代日本人です」と
逆にアピールしていることにしかならないのです。

現代に、本当に「アイヌ」が存在しているのなら
それは「アイヌ」を名乗るのではなく、
その独自の集団名と独自のアイデンティティーを示さなければ
本末転倒の「コスプレ」にしかならないでしょう。

「アイヌ」は「過去の存在に関するあくまで便宜的な語」にすぎません。