差別はあるの?
ありません。
たとえば、私が水泳の北島選手に向かって
「塩素くさーい!寄るな寄るな!プールでふやけてろ!」
と言ったとします。
これは完全に水泳選手差別です。
しかしこれだけで「日本には水泳選手差別がある」と言えるでしょうか?
言おうと思えば言えます。
しかし、それでは、もうなんでも差別できてしまうワケですから
日本はあらゆる差別が存在すると言えてしまう事になります。
「○○差別がなくなった」と判断できる日も
金輪際、来ることはないでしょう。
このように「○○差別があるか、ないか?」という質問設定自体が、
「ある」と言いたい人はいつまでも「ある」と言えるような
非常にあいまいな質問でしかないのです。
整理しましょう。
「○○差別があるかどうか」という質問は、本来
「社会問題として取り組まれるべきレベルの○○差別があるかどうか」
という質問であるはずなのです。
つまり
・制度的な差別がある
・制度的には無くても、民間で無視できない風潮が認められる
かどうか、それが論点です。
制度的なアイヌ差別はもちろんありません。
民間の風潮を言うならば、デブやブスの方が、遥かに悲惨な差別があるでしょう。
むしろ今は、アイヌというだけでマスコミからチヤホヤされる風潮があり
「アイヌ=オシャレ」という意識すらある時代です。
現在、より重要な事は、
「アイヌ」を御旗にすれば、日本国民の税金を架空請求含めて湯水のように使って
それで平気で居られるような法的な制度があるという事実です。
いまや社会で起こっていることは、風潮どころではない
制度問題としてのアイヌ特権・逆差別なのです。
「アイヌ差別があるかどうか?」というあいまいな質問は
「社会問題としてのアイヌ差別があるかどうか?」
と正しく質問された場合、
「むしろアイヌ特権がある。アイヌ逆差別がある。しかも制度的に!」
と180度反対の結論が明確に導き出されてしまうわけです。
「アイヌ差別があるか、ないか」という問自体が
ある意味、実に鮮やかな目くらましの手法だと言えるでしょう。
差別問題を真剣に考えている人であればあるほど
差別をやたらと叫んで利権を得ようとする人間の存在こそ、
許せないと思うはずです。
繰り返しますが、差別利権の問題を厳しく追及する人間こそが
差別問題を最も真剣に考えている本当の「弱者の味方」なのです。
皆さんに試していただきたいのは
「アイヌ差別はある!」と言っている人を見かけたら
社会問題としてのアイヌ逆差別・利権があるという事を毅然と指摘してみてください。
そして、どういう温度の反応が返ってくるのかをよく観察しましょう。
その人が、「本当に差別問題を真剣に考えている人なのかどうか」
そのリアクションによって、かなりの程度判断がつくはずです。
たとえば、私が水泳の北島選手に向かって
「塩素くさーい!寄るな寄るな!プールでふやけてろ!」
と言ったとします。
これは完全に水泳選手差別です。
しかしこれだけで「日本には水泳選手差別がある」と言えるでしょうか?
言おうと思えば言えます。
しかし、それでは、もうなんでも差別できてしまうワケですから
日本はあらゆる差別が存在すると言えてしまう事になります。
「○○差別がなくなった」と判断できる日も
金輪際、来ることはないでしょう。
このように「○○差別があるか、ないか?」という質問設定自体が、
「ある」と言いたい人はいつまでも「ある」と言えるような
非常にあいまいな質問でしかないのです。
整理しましょう。
「○○差別があるかどうか」という質問は、本来
「社会問題として取り組まれるべきレベルの○○差別があるかどうか」
という質問であるはずなのです。
つまり
・制度的な差別がある
・制度的には無くても、民間で無視できない風潮が認められる
かどうか、それが論点です。
制度的なアイヌ差別はもちろんありません。
民間の風潮を言うならば、デブやブスの方が、遥かに悲惨な差別があるでしょう。
むしろ今は、アイヌというだけでマスコミからチヤホヤされる風潮があり
「アイヌ=オシャレ」という意識すらある時代です。
現在、より重要な事は、
「アイヌ」を御旗にすれば、日本国民の税金を架空請求含めて湯水のように使って
それで平気で居られるような法的な制度があるという事実です。
いまや社会で起こっていることは、風潮どころではない
制度問題としてのアイヌ特権・逆差別なのです。
「アイヌ差別があるかどうか?」というあいまいな質問は
「社会問題としてのアイヌ差別があるかどうか?」
と正しく質問された場合、
「むしろアイヌ特権がある。アイヌ逆差別がある。しかも制度的に!」
と180度反対の結論が明確に導き出されてしまうわけです。
「アイヌ差別があるか、ないか」という問自体が
ある意味、実に鮮やかな目くらましの手法だと言えるでしょう。
差別問題を真剣に考えている人であればあるほど
差別をやたらと叫んで利権を得ようとする人間の存在こそ、
許せないと思うはずです。
繰り返しますが、差別利権の問題を厳しく追及する人間こそが
差別問題を最も真剣に考えている本当の「弱者の味方」なのです。
皆さんに試していただきたいのは
「アイヌ差別はある!」と言っている人を見かけたら
社会問題としてのアイヌ逆差別・利権があるという事を毅然と指摘してみてください。
そして、どういう温度の反応が返ってくるのかをよく観察しましょう。
その人が、「本当に差別問題を真剣に考えている人なのかどうか」
そのリアクションによって、かなりの程度判断がつくはずです。