アイヌは昔はいたの?
もちろん居ました。
しかし、彼らのアイデンティティーを尊重し
文化の多様性を重視する観点からいえば
正確には、「アイヌなど居なかった」と言った方がよいでしょう。
「アイヌがいた」のではなく
「無理矢理ひとくくりにみなされ
後付けでアイヌと呼ぶことにされてしまった様々な人たちがいた」
だけです。
「アイヌ」は「人間」というだけの意味でしか使われておらず
(いわゆる)アイヌは、自分たちのことを人間だと思っていたでしょうから
そういう意味でなら「アイヌ=人間」という意識はあったでしょうし
そういう意味でのみ「アイヌ=人間はいた」とは言えますが、
それ以外の、なんらかの集団名・人種名として存在していた語ではありません。
細かく言えば、
アイヌの和人化がほぼ完了した最後の段階になって
あえて「アイヌ」を自称した「アイヌ」も居ましたが
それは、逆に彼らがその時点でどれだけ日本に同化してしまっていたか
を示すものでしかありません。
「アイヌ」は、それぞれ独自の社会を持ち、
それぞれ独自の自称を名乗っていた、
その、それぞれ名乗っていた自称こそが、彼らの呼び名であり
それこそが、彼らのアイデンティティーです。
よって、アイデンティティーを尊重する立場から言えば
「むかし、北海道にはアイヌが居た」と表現すること自体に
やはりそもそも、問題があると言わざるを得ません。
しかし残念ながら、彼らは文字を持たなかったため、
その各自の名称は伝わっていません。
「アイヌ」とは、そういう
「使わないに越したことはないが、
仕方ないのでそう呼んでいる、乱暴な一括りの語」
に過ぎないのです。
しかし、彼らのアイデンティティーを尊重し
文化の多様性を重視する観点からいえば
正確には、「アイヌなど居なかった」と言った方がよいでしょう。
「アイヌがいた」のではなく
「無理矢理ひとくくりにみなされ
後付けでアイヌと呼ぶことにされてしまった様々な人たちがいた」
だけです。
「アイヌ」は「人間」というだけの意味でしか使われておらず
(いわゆる)アイヌは、自分たちのことを人間だと思っていたでしょうから
そういう意味でなら「アイヌ=人間」という意識はあったでしょうし
そういう意味でのみ「アイヌ=人間はいた」とは言えますが、
それ以外の、なんらかの集団名・人種名として存在していた語ではありません。
細かく言えば、
アイヌの和人化がほぼ完了した最後の段階になって
あえて「アイヌ」を自称した「アイヌ」も居ましたが
それは、逆に彼らがその時点でどれだけ日本に同化してしまっていたか
を示すものでしかありません。
「アイヌ」は、それぞれ独自の社会を持ち、
それぞれ独自の自称を名乗っていた、
その、それぞれ名乗っていた自称こそが、彼らの呼び名であり
それこそが、彼らのアイデンティティーです。
よって、アイデンティティーを尊重する立場から言えば
「むかし、北海道にはアイヌが居た」と表現すること自体に
やはりそもそも、問題があると言わざるを得ません。
しかし残念ながら、彼らは文字を持たなかったため、
その各自の名称は伝わっていません。
「アイヌ」とは、そういう
「使わないに越したことはないが、
仕方ないのでそう呼んでいる、乱暴な一括りの語」
に過ぎないのです。