無理矢理同化させられたの?
喜んで同化しました。
同化イコール悪、同化イコール悲劇
という固定観念は捨てて、フラットな目で歴史を見つめましょう。
誰だって、楽な生活、便利な生活があればそれに憧れるのです。
貧しい時代、そして、
「オリジナリティ」というものが至上の価値のように喧伝される感覚もなかった時代に
いわゆるアイヌが、統一性を得ないまま日本に積極的に同化していったのは
人間として当たり前の選択といえます。
水道が無いよりあった方がいい、病気になるよりならない生活、すぐに治る生活がいい
電気もラジオもあったほうがいい、その方が幸せな生活だと思うのですし
当時のアイヌの人々だって、みんなそう考えたのです。アイヌも、同じ人間です。
それでも、どうしてもアイヌの同化が無理矢理な同化だったと思いたくても
そう思いたい人に不都合なことには、
アイヌが、チベットのように
同化に反対した蜂起などを一つも起こさなかったのだから仕方ありません。
コシャマインも、シャクシャインも同化に反抗したわけではありません。
その娘婿として「和人」を迎えてすらいます。
そもそも「アイヌ」自体が日本との混交で成立したのですから
当たり前すぎる話ともいえます。
三千年来(むかしこのかた)流れける.同化の波に誘はれて.
文化洽(あまね)く北辺.
夷処女(おとめ)の上に輝きぬ (伏根シン子)
という詩がある通り、
アイヌの日本への同化志向は大昔から存在した「当たり前」のものだったと
当時のアイヌ自身も正確に認識していたわけです。
江戸時代には、アイヌに対して日本語の使用を禁じたり
「和人」と同じような格好をさせないなど、
同化を阻止する「差別政策」がとられていました。
それは、とりもなおさず、
放っておけばアイヌがどんどん和人化してくるからという現実があったからです。
江戸時代の差別政策がなければ、
アイヌはもっと早く同化していたでしょう。
そのような現実は、違星北斗の詩を読んでも解ります。
違星北斗は、当時「アイヌ意識」をもっとも強く訴えた人物であり
当時のアイヌのほとんどが、
喜んで日本に同化している事を嘆く歌をたくさん残しています。
逆に言えば、違星のような「アイヌ意識」を強調する訴えは、
「アイヌ」の中では浮いた主張であったということです。
以上の数々の事実からも解る通り
多くの「アイヌ」が、昔から、ずっと日本に同化しつづけて
ついにそれがアイヌ・和人双方が近代化を共に経ることで
望み通り、めでたく同化が完了したというだけの事なのです。
それが「アイヌ」の選んだ歴史なのです。
参考として、以下に、偉星の言葉を示しておきます
・アイヌが日本化することを無上の光栄とするは誠に美しい人情であつて真にそうある可きでありますが、 それがためにアイヌ自身を卑下するに至つては遺憾千万である(違星北斗)
・昔のアイヌ、所謂、純粋が無くなるから無くなっても一向差しつかへないのであります、吾々は同化して行く事が大切の中の最も大切なものであると存じます(違星北斗)
・アイヌは統一され、そして文化に浴し日本化して行く。それはたとへ建国の二千五年 (ママ) 後で少く遅かったにしても、「彌や栄ゆる皇国」として皆様とこの光栄をともにいたしますことを悦びます。(違星北斗)
・吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的でない。(違星北斗)
・「平等を求むる心」だ、「平和を願う心」だ。適切に云ふならば「日本臣民として生きたい願望」であるのである。(違星北斗)
このように、同化は悪でもなんでもなく、
アイヌを卑下する形の同化でなければ
同化自体はむしろ良いこと、として違星も含めたアイヌ自身が考え
同化していったのです。
ですから、「同化が無理矢理だった」とか
「同化は悪」だとかいえるはずもなく
そのような解釈は、逆に
アイヌの歩んだ歴史を貶める行為ですらあるということを
認めなければならないでしょう。
アイヌは無理矢理同化された悲惨な存在であるはずだ
悲惨な存在でなければならない
悲惨な人生だったらいいな
日本によって悲惨な目にあった人たちにシンパシーを寄せる
日本人の自分は、なんて視野が広い、理性的な善意の存在である事だろう!
・・・・そういう、歪んだ心理は、厳に慎むべきだと言えるでしょう。
同化イコール悪、同化イコール悲劇
という固定観念は捨てて、フラットな目で歴史を見つめましょう。
誰だって、楽な生活、便利な生活があればそれに憧れるのです。
貧しい時代、そして、
「オリジナリティ」というものが至上の価値のように喧伝される感覚もなかった時代に
いわゆるアイヌが、統一性を得ないまま日本に積極的に同化していったのは
人間として当たり前の選択といえます。
水道が無いよりあった方がいい、病気になるよりならない生活、すぐに治る生活がいい
電気もラジオもあったほうがいい、その方が幸せな生活だと思うのですし
当時のアイヌの人々だって、みんなそう考えたのです。アイヌも、同じ人間です。
それでも、どうしてもアイヌの同化が無理矢理な同化だったと思いたくても
そう思いたい人に不都合なことには、
アイヌが、チベットのように
同化に反対した蜂起などを一つも起こさなかったのだから仕方ありません。
コシャマインも、シャクシャインも同化に反抗したわけではありません。
その娘婿として「和人」を迎えてすらいます。
そもそも「アイヌ」自体が日本との混交で成立したのですから
当たり前すぎる話ともいえます。
三千年来(むかしこのかた)流れける.同化の波に誘はれて.
文化洽(あまね)く北辺.
夷処女(おとめ)の上に輝きぬ (伏根シン子)
という詩がある通り、
アイヌの日本への同化志向は大昔から存在した「当たり前」のものだったと
当時のアイヌ自身も正確に認識していたわけです。
江戸時代には、アイヌに対して日本語の使用を禁じたり
「和人」と同じような格好をさせないなど、
同化を阻止する「差別政策」がとられていました。
それは、とりもなおさず、
放っておけばアイヌがどんどん和人化してくるからという現実があったからです。
江戸時代の差別政策がなければ、
アイヌはもっと早く同化していたでしょう。
そのような現実は、違星北斗の詩を読んでも解ります。
違星北斗は、当時「アイヌ意識」をもっとも強く訴えた人物であり
当時のアイヌのほとんどが、
喜んで日本に同化している事を嘆く歌をたくさん残しています。
逆に言えば、違星のような「アイヌ意識」を強調する訴えは、
「アイヌ」の中では浮いた主張であったということです。
以上の数々の事実からも解る通り
多くの「アイヌ」が、昔から、ずっと日本に同化しつづけて
ついにそれがアイヌ・和人双方が近代化を共に経ることで
望み通り、めでたく同化が完了したというだけの事なのです。
それが「アイヌ」の選んだ歴史なのです。
参考として、以下に、偉星の言葉を示しておきます
・アイヌが日本化することを無上の光栄とするは誠に美しい人情であつて真にそうある可きでありますが、 それがためにアイヌ自身を卑下するに至つては遺憾千万である(違星北斗)
・昔のアイヌ、所謂、純粋が無くなるから無くなっても一向差しつかへないのであります、吾々は同化して行く事が大切の中の最も大切なものであると存じます(違星北斗)
・アイヌは統一され、そして文化に浴し日本化して行く。それはたとへ建国の二千五年 (ママ) 後で少く遅かったにしても、「彌や栄ゆる皇国」として皆様とこの光栄をともにいたしますことを悦びます。(違星北斗)
・吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的でない。(違星北斗)
・「平等を求むる心」だ、「平和を願う心」だ。適切に云ふならば「日本臣民として生きたい願望」であるのである。(違星北斗)
このように、同化は悪でもなんでもなく、
アイヌを卑下する形の同化でなければ
同化自体はむしろ良いこと、として違星も含めたアイヌ自身が考え
同化していったのです。
ですから、「同化が無理矢理だった」とか
「同化は悪」だとかいえるはずもなく
そのような解釈は、逆に
アイヌの歩んだ歴史を貶める行為ですらあるということを
認めなければならないでしょう。
アイヌは無理矢理同化された悲惨な存在であるはずだ
悲惨な存在でなければならない
悲惨な人生だったらいいな
日本によって悲惨な目にあった人たちにシンパシーを寄せる
日本人の自分は、なんて視野が広い、理性的な善意の存在である事だろう!
・・・・そういう、歪んだ心理は、厳に慎むべきだと言えるでしょう。