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アイヌの歴史

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アイヌは日本に意図的に差別された、守るべき文化を消されたと、そんな風によく主張されますが、
わかりました、ここではそれが事実だと仮定しましょう。
大大サービスとして、その人たちのお望みどおり、
「アイヌ」を統一的な民族、日本人とハッキリ区別できる別民族、そして現代でも日本人とハッキリ区別できる存在
という間違った前提も、あえて受け入れるところまで譲歩してみましょう。

そのうえで、アイヌの歴史を公平な目で見てみませんか。

問題は2つあるとおもいます。

まず1つ。

日本は鎖国していたと言っても国外の情報に目を向け
このままでは日本が欧米列強に支配されてしまう、日本の国も文化も消えてしまう。
そういう現実の危機をしっかり認識したうえで
自らその旧習を改め、つまり消す文化は消し、残す文化は残すという自己判断をすることで
近代化し、そしてひとまず現在も独立国として存在しています。

アイヌは日本人と違って、外の状況に目を向けず、
向けていたとしても自らを近代化せず
旧習を改めなくたって大丈夫大丈夫、近代化なんか要らない、困った時は困った時だよ。
と、少なくとも現実的な時間の過ごし方から考えればそのような判断をしました。

もしかしたら、「自分たちの文化を改めるくらいなら滅亡してもいいんだ、」
という、確固たる覚悟すらもっていたのかもしれません。
そう判断した集団というのは、必然的に他民族の統治を受けざるを得ない
という現実は、どう見ても明らかだったにもかかわらず。

だから日本に同化されたことをネガティブに評価するのなら
むしろ当時のアイヌたちが、日本人のように行動しなかったことを反省すべきではないでしょうか。
当時のアイヌはなにをやっていたんだ、と。

そして正確に言えば、これは幕末に限りません。
アイヌの運命は、結局アイヌが歩んできた結果の積み重ねではないかと思います。

北米原住民やアボリジニのように、見ず知らずの他民族によって急襲されたわけでもなんでもなく
和人とは古くからの交流があったのですし、あくまで対等な存在です。

「でも、和人がアイヌとの戦いにおいて勝ちつづけたからいけない!
和人はアイヌに負けてあげればよかったんだ!」・・・とは言えません。

その時代の常識として、勝ちたきゃ強くなればいいという共通理解の上で戦っただけの話です。
(実際には、別に和人ばかりが勝ち続けていたわけでもないのですが)。


わたしは先祖といえどもあくまで他人だと思っていますから
先祖という名の他人がやったことを偉そうに反省だとかするのも違うような気がしますし
まして他民族の先祖のやったことをとりあげて批判する気にもなりませんが
アイヌの人たちが日本人の先祖を批判するというのなら
まずは自分たちの先祖の「能力」の低さを批判してほしいと思います。



もう1つの問題は

わたしは逆にいえば、もしアイヌと日本が逆の立場で
アイヌが近代化し、日本がなまけていたら、
結果的に日本がアイヌ人に統治されていても仕方ないと思います。

その場合、アイヌは日本人を、一切差別せずに支配したでしょうか?
アイヌ同士でも奴隷制度があったのに?

一切の不満も持たせず、どんな誤解もせず、思いがけない失敗も、多少の無理も引き起こさない
完全無欠な政治ができたでしょうか?
急速に近代国家を立ち上げて、戦争も覚悟しなければ独立を保てなかった、あの、めまぐるしい世界情勢の中で?

日本人には出来なかったけど、アイヌにはそういうスーパーな政治が出来たはずだ、とか
アイヌもできなかっただろうけど、歴史にifはない!だからそんな問いかけは考えないぞ!と、
どこかで聞いたフレーズで思考停止するのではなく
そういう想像力も働かせ、当時の世界の現実を見つめた上で
アイヌの歴史を理解しなければならないと思います。


蛇足ですが
日本には、すべての臣民を平等に慈しむ「天皇」という存在が、権威として頂点に存在していました。
そのような平等の原理というものがあったわけですが、
アイヌにはそのような、平等の原理を担保する存在も思想もありませんでした。

あまり言いたくありませんが、そのように論理的に整理すると
アイヌが日本人を支配していたら、おそらくもっとひどい差別待遇がなされていたと思います。
そういわざるを得ないです。

それこそが天皇という存在のありがたさであって、
違星をはじめ多くのアイヌもそれを認識して、天皇の事を敬愛していたのです。